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五藤光学プラネタリウム冬番組

新潟・盛岡・群馬用シナリオ (第一稿)


●ナレーション・内海賢二●

「冬の星紀行」
〜雪国の空を訪ねて〜

沼澤茂美



SEのみFI
SL/FI

私は、群馬県の水上の丘陵地に立ち、冬の空っ風に身震いしながら、晴れ渡った空を眺めていました。


なんと、美しい夕空でしょう。
冬の群馬県北部は、一年で最も美しい星空が見える場所と言えるかも知れません。
来るべき、満天の星空を期待しながらも、
北の山々に目をやると、そこには、灰色の分厚い雲がおおい被さっているのが分かります。


谷川連峰の山々の向こうには、こことはまったく別の世界が広がっているのです。

白銀の世界
冬の雪国です。

BG/FI

タイトル
トンネル









SL&雪/

「くにざかえのトンネルをぬけると雪国であった」・・・

このあまりに有名な書き出しでで始まる川端康成の代表作品
「雪国」。

 津々と降り積もる雪、
しーんと静まり返った夜は雪が積もるといわれました。
窓を開けてみると大粒の雪が闇の中に音も立てずに舞っています。
朝になれば多いときは1メートルもの積雪が、外の世界を一変させてしまう雪国の冬。

たれ込める雪雲に閉ざされ、星空を見ることは滅多になく、
雪に閉ざされ狭くなった生活空間の中で身を寄せあうようにして暮らして行く。
私が幼いときの生活はその様なものだったと記憶しています。

私達にはそれが冬の日常だったのです。

しかし、上京し、太平洋側の晴れやかな冬の気候に接したときあまりの違いに驚いたものです。

しばし、田舎に帰る時、上越線の車窓から体験した光景は、私の脳裏に記憶されていた小説の冒頭の序文を、鮮烈によみがえらせたのでした。
 
国境(くにざかい)の長いトンネルをぬけると雪国であった・・・。

川端康成の「雪国」は、近代抒情小説を代表する存在であり、川端文学の美の頂点に達した作品といわれます。
その魅力は今日に至っても色あせることはありません。

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 西洋舞踏に通じた主人公島村は人生を徒労と考えていました。ふと訪れた雪国の旅館で芸者駒子と出会い、二人のドラマは進行します。

駒子の澄みきった心が、彼女の生活の場である雪国の過酷な環境と境遇の中で、いっそう鮮鋭度をまして伝わってくるのに対し、
無為徒食で、生活にみじんのきびしさも感じさせない島村の心はもどかしさを感じさせます。

まるで浮き世と夢の世界が同居するような関係が永遠に続くはずもなく、やがて、それは、劇的な別れへと雪崩のようにくずれてゆくのです。

それが、全編に神経を注がれた、美しい自然描写の中に展開されます。

 川端康成は「多くの小説は、自然の観察と描写がおろそかになっている。
歌人や俳人の方がより自然をよく見て書いている。」といい、「雪国」では、自然の写生につとめたといわれています。

その中で、特に私を引きつけたのは小説の佳境、駒子の「天の河。きれいね。」から始まる多くの天の河と星空の描写です。

この小説の最後を締めくくるキーワードが「天の河」にあります。

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川端康成の表現したそれは、星に親しむものにとって、衝撃的なものでした。
写真でさえ表現できない生々しい、光かがやく空を、驚くほどリアルに描写していたのです。

昔の越後湯沢では、冬場の雲の切れたほんの短い時間に、それは素晴らしい星空が見えたはずです。
その輝きは、駒子の澄みきった心を描写しているようにも感じられますし、はるか彼方の手の届かないところに離れつつある二人の関係を暗示しているようでもあります。

芭蕉の天の河の句も引用され、そこに示された佐渡に流刑される隔絶の感を、
駒子と島村の関係に当てはめたのかも知れません。

澄み渡った冬の星空は、小説のラストを特異なシャープさと緊迫感で締めくくっています。
紛れもなく作者が湯沢で見た雪国の冬の星空がそこにあります。

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 新幹線や高速道路がとおり、いま、湯沢町は、関東圏の身近なリゾート地として定着してしまいました。
経済の全盛期に狂気のように立ち並んだ高層マンションやリゾートホテル。

小説「雪国」の世界は消えつつあります。
 しかし、「雪国」を読んだ人たちは、町の中に、その面影を探し求めるでしょう。

温泉街のたたずまい、
湯沢の里の独特の地形、
立ち昇る蒸気、
国境のトンネル、
冒頭に出てくる土樽駅は、電化になったとはいえ、今でも簡素なたたずまいを見せてくれます。

すぐとなりには関越自動車道の高架橋が走っており、両者の景観は不思議なコントラストで目に入ります。

深夜にはスキー場のナイター照明も少なくなり、土樽あたりからは、なかなか素晴らしい星空が見えることがあります。

しかし、残念ながら、川端康成が書いた「なまめかしい星空」にはほど遠い空に違いありません。




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小説雪国の中ではまた、雪国の生活が、極めて大きな関心のもとに紹介されています。

昔から、雪国の暮らしは独特の様式を作り上げてきました。
そんな様子を今に伝える素晴らしい遺産、
小説の中でもしばしば引用されているのが、
江戸時代に鈴木牧之(すずきぼくし)によって書かれた「北越雪譜」です。

汽車の音

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湯沢を過ぎて上越線を北上すると 塩沢,六日町、小出といった豪雪地帯が続きます。 
魚沼と呼ばれるこの地域は、その特別な雪国の環境から独特の文化、産業を生み出しました。そのひとつが小説「雪国」の中でも紹介されている「越後縮布(ちぢみ)」です。
縮布は、この一帯の特産品で、
着るほどに強さと風合いを増すといわれる高級生地です。


「そもそも、生まれてから、織り終わるまでの手作業すべてが雪の中にあり。
雪の中で糸となし、
雪の中で織り、
雪の水に注ぎ、
雪の上にさらす。
雪ありて縮あり。
されば、越後縮は雪と人お互いの気力あってこそ名産の名あり。
雪は縮みの親というべし。」


 これは、「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」に記された縮みの紹介です。

鈴木牧之(すずきぼくし)は、湯沢の隣、塩沢町に生まれ、
家業である質屋・縮の仲買を営みながら、実に40年の歳月をかけて、雪国の生活を克明につづった書「北越雪譜」を著しました。

現在の雪国の生活は大きく変化してしまいましたが、自然の特異性は、今にも通じるものがあります。
 その中に、「芭蕉翁が遺墨(いぼく)」のタイトルで、天の川の句などを紹介しています。
又そこには、

「越後を訪れる文人の数は実に多いが、秋の終わりになれば雪を恐れて逃げ帰るので、雪に関する記述はひとつもない・・・・。」という皮肉が添えられています。

そして、「北越雪譜」にはまるで冒険小説にも似た項目も多く見受けられます。
その中から、雪の描写をのぞいてみましょう。



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「吹雪に焼きめしを売る」

雪国大変で恐ろしいものは、
冬の吹雪、
ほうら(表層雪崩)、
春の雪崩なり。


ここに、我が魚沼の薮上の庄より、農夫がひとり柏崎の駅をめざしていた。その道のりは約5里。

途中でひとりの商人と会い、連れだって行くことになった。時期は、十二月のはじめだったが、数日間続いた雪も晴れたので、二人は肩を並べて心のどかに話をしながら進んだ。
すでに、塚の山というと小さな峠にさしかかったとき、
雪国の常ではあるが、晴れた空がにわかに凍るような雲に変わり、強風が四方の雪を吹き散らして白日を覆い、何も見えなくなってしまった。
袖や襟に雪が吹き込み、全身凍えて息も苦しい。
大風が、四方から吹きめぐらして雪を渦のように巻き上げるが、これも雪国の常である。
二人は、カンジキで雪をこぎながら互いに声を掛け合いながら助け合い、何とか峠を越えた。
ここで、商人が農夫にいった。

「今日の良い天気を見る限り、柏崎までは容易にたどり着くとおもい弁当をも持たず。今、空きっ腹になって、寒さに耐えられない。
このままでは、お前サンについて雪をこぐこともできぬ。
ここに600文あるが、死ぬか生きるかの瀬戸際にいたって、この銭を何とかしたい。600文でお前サンの懐の弁当を譲ってはもらえないか。」

農夫は貧乏ゆえに、600文と聞いて大いに喜び、焼きめしを出して銭と変えてしまった。
商人は懐の中にあって暖かさのさめていない焼きめしを食し、雪で喉を潤して心身ともにすこやかになり、前に進んで雪をこいだ。
そのうち急ぐほどに吹雪はますます激しくなり、カンジキの足なお遅く、日もすでに暮れようとしている。
今になって、焼きめしを売った農夫は腹減り疲れはて、商人は、腹も満ちて足を進めて行く。

農夫はしばしば遅れてしまうので、ついに商人は、ひとりで先の村に到着し、知人の家に入っていろりで暖をとり、酒を飲みはじめて生き返った思いにひたっていた。

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さて、しばらくすると、「ほーい、ほーい」という吹雪の時に助けを呼ぶ声を家のものが聞きつけた。
「吹雪倒れぞー!早く助けろ!」と、近所の人を呼び集め、それぞれにコスキを手にして駆けつけたが、やがて、大勢がひとりの死骸を家の土間に引き入れた。
それを例の商人も立ち寄ってみれば、何と先ほど飯を売った農夫の姿であった。


そもそも、金銭の尊いことは、今更いうことでもないが、凶作の年、飢えた時に小判をなめても腹は膨れない。
飢えたときの小判一枚は、飯1杯にも及ばないものだ。
はるか昔の飢饉の時は、餓死した人の懐に小判が百両あったと聞いている。



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 雪国の冬、十二月はじめから二月いっぱいは星を追いかける者にとって、ほとんど晴れ上がる日のないきびしい季節です。
ただ、一時的な晴天や、一部の雲の切れ間から星空がのぞいたとき、普段では見られないような星々の輝きを目にすることがあります。
冬の星座はオリオン座を代表として一等星を持つ星座が多く、華やかで、淡い天の川とのコントラストも美しく、雲に開いた窓が周りの邪魔な明かりを適当にカットし、印象深い星空の一部をまるで額に入れて飾るかのごとくトリミングしてくれます。

川端康成も見たであろう冬の宵の星空です。



三ツ星とそれを取り囲む四つの星からなるオリオン座。

オリオン座は、冬の星座の中では最も良く知られ、形の整った星座です。
二つの一等星のうち、赤い方が「ベテルギウス」、反対の青い星は「リゲル」と呼ばれています。
これらは、我が国でも昔から注目を集めていました。
その色の対比から
赤い方をその旗の色にちなんで「平家星」
青い方を「源氏星」
と呼ぶ地方も多いと聞きます。

また、オリオンの中央付近に望遠鏡を向けると、姿を現す「オリオン大星雲」は、白鳥が羽を広げたような美しい姿が小さな望遠鏡でも良く分かます。特に寒風の吹きすさぶ冬の澄みきった空の元では、その透明感がいっそう印象的で、見たものの心をとらえて離しません。


オリオン座から視線を上にやると、ここにも冬を代表する星々が輝いています。

いくつもの星が小さくかたまって輝く「すばる」です。

西洋では、神話に登場するプレアデスの7姉妹に見立てて「プレアデス星団」と呼んでいますが、日本では、「すばる」あるいはその星の数から「ムツラ星」という呼び名もあります。

西洋では「7姉妹」、日本では「ムツラボシ」、7つと6つの
数の違いがあるのは興味深いところです。
晴れたときにじっくりとその数を数えてみるのも面白いでしょう。
肉眼で十一個まで数えることもできるそうです。

写真に撮ると、星々の周りに青いベールのような星雲が広がり、美しい別の姿を現します。

すばるとオリオン座の中間に輝く赤い星は、アルデバラン
このあたりに星がまばらに
Vの字にかたまっているところが「ヒアデス星団」です。

私達にとても近い星団のために大きく広がって見えています。

Vの字のところは、牡牛の顔に当たり、アルデバランはさしずめ、血走った牡牛の目ということになりましょうか。

すばるを含んだ大きな牡牛が姿を現します。


その他にも、冬の天の川に沿って、
ぎょしゃ座
ふたご座
いっかくじゅう座
こいぬ座
などの星座が横たわり、
その中に点在する多くの星団や星雲が、彩りを添えています。



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 そんな中、南にひときわ明るく輝いている星があります。
星空で最も明るい輝きを放つ恒星--「シリウス」です。
シリウスを鼻先にもつ星座が「おおいぬ座」。

シリウスは、中国では「天狼星」--天のおおかみ--と呼ばれ、星の配列が、周りにある野鶏という星をねらっている様から付いた名前だそうです。
そして、これとまったく同じ「おおかみ星」という名が日本でも存在すると言います。

 星座研究家 野尻抱影の著書によれば、それは、新潟県の岩船地方の民話集「岩船夜話」に出ている朝日村に伝わる伝説「星の降る池」の中あると言います。おおかみ星は、「熊手星の下にいつも南の空に出て、たいまつのように輝く星」とあり、日本の星座のほとんどが生活用品や直観的名前が付いている中で、狼の名は異質ではあるとも記されていました。

 その後、私は、はるか昔に絶版になったこの「星の降る池」の全文を見ることになり愕然としました。
その民話集の本当の名は、「岩樟舟夜話(いわくすぶねやわ)」、
当時中学校の先生をされていた中村忠一さんが戦前にまとめたものでした。
そして、この物語りの舞台は、私のふるさと神林村の「大池」という小さな池だったのです。


それは、新潟県の北部、羽越線岩船駅の近くにあります。



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 物語は、見事なまでの夜の静寂に満ちた情景描写から入ります。
「流れ星」は人が死んで極楽に行ったしるし、水面から天に延びた「極楽の道」は冬の天の川でしょう。
そこには冬、あるいは晩秋の夜半に姿を見せる星空が記述されています。
話の中に出てくる「魂の車座」は北斗七星でしょうか、「三びきの馬」、「馬小星」などの難解な星座もでてきますが、
オリオン座の三ツ星をさす「熊手星」(くまでぼし)といった名の通った星座もありました。

 この物語りの圧巻なところは、後半部分です。
 星座たちは友人の星の祝言に呼ばれます。

空高くかがやく「うぐいすのかご星」(すばる)が先に出発し、熊手星が追いかけ、おおかみ星がそれに続きます。
やがて、熊手星はうぐいすのかごを追い越しますが、南に低いおおかみぼしは最後まで残ってしまいます。

これは、星の配置と動きを見事に表現しており、昔の人たちの観察力の鋭さにただただ感嘆するばかりです。星の記述がこれほどリアルに物語としてまとめられている例は国内には他に見あたりません。


 星の降る池の伝説が残る神林村の大池には、冬になると多くの白鳥が飛来し、昼夜を問わず甲高い声がこだましています。
今から20年ほど前には、1羽の白鳥も見ることなく、
清らかな水をたたえ、ジュンサイが一面に採れたのだと言います。
大池のそばの畑で会ったおばあさんの話では、開墾する前、この一帯はすべて松林に囲まれていたのだそうです。
今は、すぐそばを国道が通り、池は白鳥を見にきた人々でにぎわいます。
県の森林浴の森百選というものにも選ばれて、
池の端には展望台が作られました。
大池の周辺には、他にもさまざまな事業計画がるといいます。

もうじき、星の降る池の面影をたどれなくなる日が来るのかもしれません。

 今でもこの近辺の人たちの中には、昔はひっそりと静かだった大池に「あそこには星が降ると言われていたよ。」と、
言い伝えを知る人がのこっています。

静かな、かつての大池を忍び、星の降る池の物語に耳を澄ませてみましょう。



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