第34回 8/25
失われる星空
文明の明りが健全な空をむしばむ
私達星を撮る者にとって、空の状態はとにかく気にかかります。年々、都市だけでなく、日本のあらゆる場所に光がともり、文明の繁栄を象徴するかのようです。
近年発表された、アメリカの軍事衛星による夜の写真はショッキングでした。文明圏に輝く光の数のすさまじさ、特に日本は、夜間においても列島の形がはっきり浮かび上がっているのです。ビルのネオンサイン、街灯、遊戯施設の強力なサーチライト、そして意匠だけを求めたライトアップ。お天気サインといって、色分けした強力な光を空に向け放っているところもあります。街路樹に巻き付けたおびただしい数のデコレーションライトは、樹木の生態系にあまりに無頓着と言わざるを得ず、これらのほとんどが人間の主観的なエゴイズムの象徴です。
騒音や水質、大気汚染などの他の環境問題と比べて、夜間の光に関しては、取り締まる条例は、全国でも限られた、ほんの少しの自治体にしかないのが現状です。 以前は星空を見上げる立場から、この様な現状を単に残念に思っていただけでした。
しかし今日、星空の見えなくなってきた現状が、我々のような立場の者だけの問題なのかと、しばしば考えることがあります。
昔の人々は、星空を身近に感じ、生活に密着していました。そして、星空に下に身をおいて、様々な衝動を駆り立てたでしょう。それは、天文学の発達や哲学などに貢献しただけではありません。川端康成の「雪国」、芭蕉の句といった、素晴らしい文学を生み出し、人々の心情に、深い影響を及ぼしました。星空の風景は、美しい山河が輝く健全な自然環境と、同一のものなのです。
今の社会政治の価値観は、これらを片隅に追いやり、物質的な方向に偏ってしまっているのは誰の目にも明らかであり、昔の人々が自然と共存し、すべての環境とのかかわり合いの中で、見事な生活の習慣を作り上げてきたことに今一度注目すべきではないでしょうか。
星空の見え方は、この様な本来あるべき人間と自然の関係の度合いを端的に示していると思われます。そして、自然環境の汚染を示す敏感なバロメータであると共に、そこに生活する人々の心の健全さをも現しているのではないかと、思われてなりません。
(キャプション)
神林村で撮影した南南西の星の軌跡。低空の明るさは、新潟市方面の人工光の影響です。