「新潟星紀行」沼澤茂美


第31回 8/4

旧暦の七夕祭り





各地に残る様々な風習


 私たちが7月7日、恒例のようにお祝いする七夕。しかし、梅雨真っ盛りのこの頃に星が出る可能性は高いものではありません。それは、旧暦から新暦になったときの暦のずれが影響しています。昔の七夕は旧暦の7月7日に行われましたから、新暦では8月の上旬頃、つまり、今ごろになるのです。かつての七夕は梅雨が明けた夏真っ盛りの頃で、きわめて晴天率の高い頃、夏の天の川は7月よりもなお高く空に輝き、七夕の話も生彩を帯びていたに違いありません。
 七夕の起源はたいへんに古く、紀元前1100年の古代中国の文献に、すでに織女星(おりひめ)の名があり、牽牛、織女の両方の名は孔子が編纂した詩経(前500年)に記されていると言います。この頃の七夕伝説は国の悪政に苦しむ農民の恨みを天に訴えた話だったそうです。
 日本には、奈良時代より以前に中国から伝来したらしく、万葉集にも七夕の歌が豊富に見うけられます。そして、織女を棚機の女神「たなばなつめ」の名から七夕(たなばた)と呼ばれるようになったと伝えられています。
 それが、年中行事としての七夕祭りに発展したのは、平安時代にはいってからですが、当時は、まだ、宮中の行事に過ぎず、その後、次第に民衆化し、江戸時代にはほぼ現在の形と同じものが各地で行われています。 ただ、地方によって、まつりの様式はいくつかのバリエーションがあり、古式に乗っ取って収穫物をお供えしたり、織り姫にちなんで、糸や反物、彦星にちなんで、琴などの弦楽器、東京の一部では、瓜で作った馬などを供えるところもあるそうです。
 さて、変わったところでは、雨ごいを七夕の星に託したという風習が祭りとして残っている地方もいくつかあります。
 岩船神林村の牧の目、九日市地区では新暦の8月6日の夜に七夕行事が盛大に行われますが、これは朝廷に用水路の整備を陳情に出向いたことが起源と伝えられています。
 三大七夕祭りの1つ、仙台のように、旧暦の名残で8月7日に行うところも多ければ、県北村上市のように8月中旬に行うところもあり、各地各様の七夕まつりに興味は尽きません。

(キャプション)
神林村の牧の目、九日市地区の七夕祭り。「にわか」を引き、健脚の若者が各家をまわって豊年満作を祈願します。


小説雪国の空逆さ星-水田に写る星頭上に輝く天の川中心芭蕉の見た天の川旧暦の七夕祭り失われる星空


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