「新潟星紀行」沼澤茂美


第76回 1997.6/15

宮沢賢治の宇宙

岩手県に足跡を訪ねる

 小さい頃、祖母の口から幾度となく「雨にも負けず・・・」の詩を聞かされた記憶があります。詩人、童話作家、農学校教師・・と、様々な肩書きを持つその作者宮沢賢治。昨年の生誕100周年の年には、映画2作品を始め、数多くの特集が組まれ、大きな賢治ブームとなりました。
 私達、星やプラネタリウムの仕事に関わるものにとってもそれは無関係ではありませんでした。「銀河鉄道の夜」を代表作として、賢治は多くの星や天体に関わる作品を残しています。何と多くの宮沢賢治関連の星の本や、プラネタリウムの番組が作られたことでしょう。それが賢治の意志にそうものなのかは、分かりませんが、きわめて多くの人たちがその作品に接したことは間違いありません。
 先日、岩手県雫石において、全国のプラネタリウムの会合が開かれ、全国から100名ほどの関係者が参加しました。岩手と言えば、宮沢賢治のふるさとです。会合の場所が、雫石市の宮沢賢治ワールドであり、そしてふるさと花巻市の周辺とされたので、今回は賢治の背景を感じるまたとない機会となりました。
 それまでの宮沢賢治に関する知識といえば、その生涯が、純粋で一途な生き方によってきわめて鋭角な世界を上り詰めたといったことしか持ち合わせていませんでした。その精神は、常識やしがらみを越えて自由に空想の世界を飛び回り、様々な作品の特異な発想は多くの常識の束縛を離れたところにあったのかもしれませんが、多くの作品には、人の生き方や社会の定め、人の業との葛藤や、生と死を見つめた一途な心がが強く感じられます。
 賢治はまた、自然の中の人間の存在を客観視してみていたのでしょうか、人間は自然の歯車の一つにすぎず、万物は密接なその因果関係の中に存在しているという考えです。そして、私がもっとも共感するのはそこに星の世界が同一で存在することなのです。彼の作品のいくつかが、星空を舞台にし、銀鉄道の夜のような独特の作品を生みだしいたことは、星空が人の心を喚起し、有益な存在であることを示している点で非常にうれしく、また、客観的に星空の重要性を表す一例として心強く感じるのです。
 きら星のように賢治の遺跡が点在する花巻周辺をたどれば、賢治が奔走し、輝いていた頃の情景が未だ当時のままの姿で残っていることに驚くでしょう。それは、変わらぬ輝きを放つ星空の情景に共通するものです。

花巻農業高校地内に移築された「羅須地人協会の家」に集った、全国プラネタリウム協会の有志。賢治が、現花巻高校の教諭を辞職した後、そこに移住し、自ら田畑を耕しながら、肥料設計や創作活動を行いました。

銀河鉄道の夜探訪



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